石川県立中央病院

石川県立中央病院 江藤 真由美さん 【お名前】 江藤 真由美さん
【病院名】 石川県立中央病院
【役職名】 看護部長
【資格】 認定看護管理者、医療安全管理者養成研修修了など
【これまでのご経験】
看護学校卒業→石川県立中央病院→行政(石川県)での勤務(働きながら石川県立看護大学大学院に進学)→石川県立中央病院で勤務。
臨床では、脳神経外科・内科、透析療法室、血液内科、腎臓内科、糖尿病内科、消化器内科などご経験。
看護部長歴2年目。※取材日…2022年10月。撮影時のみ一部マスクを外しています。  

看護部長のお仕事について

看護部長は、「病院で提供される看護のサービスの質を保証する役割」を持っています。
「看護師がいかに看護の質を提供できるか」という、質の管理をしなければいけません。今は直接的な看護ケアには携わってはいないですが、看護師を教育したり支援をしたりすることによって、間接的に看護の質を提供しています。その他、人員の確保や関係部署との橋渡しや調整も大きな役割です。

令和4年8月のコロナ第7波の時は、救命救急センターに救急車が何台も到着したと分かると、下まで行ってどうなっているのか、応援の有無を確認することがありました。あまり看護部長がうろうろして指示を出すなとは言われるのですが、つい気になってしまいます。

令和4年10月の今は、看護部が立てた目標の中間の評価を行ったり、師長たちとの面接を行ったりする時期です。スタッフの課題や家庭環境による勤務スケジュール、異動の希望など、様々な事柄について資料を基に面接します。
夜勤が出来るかどうか、お子さんがいるのであれば何時まで勤務可能かなど、家庭環境を把握することも重要になります。そして、11月12月に向けて副部長と一緒に人事を固めていくのですが、そこが大変です。
看護学校やこころの病院、県庁など、院外に異動する看護師については、キャリアの大きな転換点になるので、本人の希望を必ず確認します。その他に、再任用、産休・育休の看護師などの確認もあります。

今年9月には、当院が事務局となり第15回看護実践学会学術集会を担当しました。関係する病院の方とオンラインでやりとりを行い、一緒にプログラムを企画しました。ちょうど昨日決算とアンケートの報告をしました。あとは看護実践学会の本部の理事会への報告があります。ちょうど看護部長になった1年半くらい前から準備に取り掛かりました。

その他、看護部も経営に参画しなければということは、看護部長職ではよく言われると思います。
診療報酬の加算を取るためには、人員体制や環境整備、研修の受講をするなど、要件を満たす必要があります。
加算を取得する目的としては、それが現場に還元できることであり、それが質の保証に繋がることだからです。加算を取得するというのは経営面だけを見ているように捉えがちですが、それは副産物であり、本来の狙いは看護の質を保証するためのものであることを理解することが、私は大事かなと考えます。

仕事のやりがいについて

看護部長としての仕事のやりがいは、人材育成です。次世代を担う看護師を発掘し、育成することが今のやりがいです。
看護師と面接をした時に、「こういう方向がいいんじゃないの」とお話をし、その後院内をラウンドした時に、その看護師がいきいきとすごく頑張っている姿を見ると、「よし!」となります。

人によって適材適所ということがあるので、配置転換することで看護師がキャリアアップする仕掛けづくりは、看護部長の醍醐味かもしれません。
入院患者数や部署の状況などは、その日によって異なります。
皆で応援し合えるように、限られた人数で最大のパフォーマンスが出来るようにすること、部署を超えて患者さんを受け入れられる教育をすることが大事だと思います。

令和3年5月、コロナ専用病床を80床運用しなければいけない時がありました。
当院は3交代・2交代で、2交代も14・15・16時間と、部署によって異なる勤務体制でした。コロナ専用病床に各病棟から看護師を割り当てようとすると、なかなか新しい勤務体制に慣れないという問題がありました。
そこで職員に、なぜその変更が必要かということを説明し、一旦すべての部署を強制的に3交代にしました。これは大きな決断だったと思います。「いつまで3交代なのか」という質問も想定していたので、「コロナがある程度落ち着くまでで、いつまでという具体的なことは言えない。ただ、時期が来たら必ず2交代にします。」と伝えました。

看護職の3交代制は、戦後の昔からある勤務体制だと思うのですが、3交代の勤務は正循環のリズムが出来ないのです。朝8時半出勤して、次深夜帯になったら23時半に起きてというリズムになると、自律神経等に影響を及ぼします。
そこで、看護職にとって働きやすい勤務体制にしたいと考えました。
残業があったり、勤務時間前にも情報収集があったりとなると、勤務のインターバルが短くなるので、寝る時間が少なくなります。
そこで、昨年11月に変則2交代制を導入しました。

変則2交代というのは、部署によってバラバラというものではなく、当院一律で13時間勤務の短い2交代にし、各部署に取り組んでもらいました。今は、7部署が変則2交代になっています。この10月からも4部署増えます。
全部署一気に変更してしまうと、スタッフの適応するストレスもあると思うので、皆のコンセンサスを得て、部署ごとに変更時期は任せています。
変則2交代を導入してからは、定期的にアンケートをしていて、課題を抽出しています。
変わらないことがいいことだと考える方もいると思うので、新しい取り組みをする時は抵抗もあると思いますが、職員内で良いクチコミが広がっていったらと思います。
看護師がきちんと仕事に集中できる環境づくりも看護部長の大きな役割かなと思います。

看護師のキャリアプランについて

看護師はずっと学び続けなければいけません。
業務だけをしている看護師もいるとは思いますが、そうすると仕事のやりがいや、看護の魅力が半減してしまうというか。
業務だけではなく、もちろん患者さんに寄り添うことも大事にしてほしいなと思います。知識も技も持っていて、心や態度もきちんとしていないと、看護師さんはトータル的にバランスがよくないのかなと思います。
当院ではクリニカルラダーと言って、5段階のラダー制度がありますが、キャリアプランが一番大事だと思っています。将来どんな看護師になりたいかを描いていないと、看護のやりがいを見いだせないのではと思います。

当院は自律した看護師を育てることを目標としています。そして、なにか目標を持つように働きかけることは管理者の役目かなと思います。キャリアプランを考えた時に、資格取得が分かりやすいと思うので、担当科目ごとに関係する資格を取ってみたらと声掛けしています。
資格だけではなく、経験も看護師にとって大事です。
いろんな部署を経験した看護師は、本当に素晴らしいです。ポリバレントナースと言って、いつでもどこでも組織のリソースとなる看護師のことを指すのですが、そういう看護師はすごく能力が高いです。
認定看護師や専門看護師の資格を持っていなくても、いろんな経験をしているので、当院としては大事にしたい存在です。スペシャリストとジェネラリストがお互いに補完し合うと、看護の質を担保できますし、皆の働き甲斐にもなるのではないかと思います。

面接などで学生に質問すること・学生へのアドバイス

面接では、看護師を目指す理由については必ず聞くようにしています。
志望理由についても、よく聞きます。志望理由は、この病院のどこに魅力を感じたのかを具体的に語れるかを見ます。ホームページを見れば病院の情報は取得できるので、TOPページだけではなく、ちゃんとその奥のページも見ているかなと、確認します。

自己PRでは、看護学校の実習でのエピソードや学生時代にどういう経験をされたかを話される方が多いですが、その経験を話すだけではなく、「それが今後のあなたにとって何に結びつくのか、何の役に立つのか」が知りたいです。そこまで話してくれると、ご本人の考えが分かりやすいです。
その他、「今まで困難なことに対し、どんな風に取り組んできたのか」もお聞きし、そのことをポジティブに捉えられるかを見ることや、話しぶりからストレス耐性を知ることができます。

面接対策をすごくやられている学生さんがいますが、練習してきた通りに上手にお話しすることよりも、自分の言葉で自分の思いをアピールできるかが大事です。
面接官はいろんなことを聞きたいので、1つの質問に対し長々と話すよりも、論理的にお話しされるといいかなと思います。

コロナ禍なので、今の学生さんはオンラインで講義を受けていたと思いますが、なかなか集中力を切らさずにいるのは大変だと思います。そこで、スポーツや趣味など、学生時代になんでもいいので1つのことに集中することをやっておくと、看護師になった時にも自分のポテンシャルを注ぎ込めると思います。
あとは学生生活をエンジョイして、学校での体験を大事にされたらいいなと思います。学校でのことを楽しむことができれば、看護の魅力にも繋がるのではと思います。例えば課題を一生懸命やると、達成感があります。そういう経験をすると、次に問題や課題に直面した時にクリアしよう乗り越えようと思うのでは、と思います。

看護学生時代について

私が看護学生の時の話になりますが、実習では自分を問われる場面が多く、そこでトレーニングされるとともに、看護の道は面白いんじゃないかなと感じました。患者さんを受け持って、看護学生ながらにどういう看護が提供できるのか、実習計画を考えるのです。
小児白血病の患者さんを受け持ったのですが、出血しないように歯ブラシを豚毛にしたり、遊びや勉強についても考えたりと、一緒に取り組んでいきました。

そしてその時の患者さんが、私が就職した後に会いに来てくれたのです。その患者さんが会いに来てくれた時、私はすでに結婚して名前も変わっていたので、なかなか探せなかったようなのですが、私は患者さんの成長した元気な姿を見て、すごく嬉しかったです。その患者さんは、その後中学校に行ってバスケットボールをやっていました。
看護に一生懸命向き合うと、それだけのものを得ることができると思いましたし、だから看護っていいなあと思いました。

患者さんによっては、実習に行ったら昨日より今日の方が食べられなくなっているということもありました。そんな時に「何食べたいですか」と聞くと、患者さんは「そうめんが食べたい」と仰ったので、「そうめん作ってもいいですか」と指導者に聞いたところ、OKをもらえたのでそうめんを茹でて、食べてもらいました。
その時は一口でも二口でも食べていただけたことが、学生時代の私にとっては嬉しいことでした。
昔の話ですから今はこういうことは出来ませんが、患者さんから要求されたことを、具現化してあげたいな、叶えてあげたいな、という気持ちが強い学生だったと思います。今も変わっていないかもしれません(笑)。性格でしょうか、人に求められると応えたくなります。

看護師になってから

学校を卒業してから、脳神経外科・内科の病棟に配属になりました。基礎的な看護技術は全て教えていただき、そこでの知識は今でも覚えています。
仕事をする中で、手順が決まっていることでも「なんでこうなんだろう」と考え、調べることがありました。

昔は消毒をする時には綿球を使用していたのですが、使わなかった分の綿球が1週間で何個だったのかということを数えるという、係の業務がありました。
そこで捨てることによって、綿球の単価、薬液はいくらなのかを全部試算し、病院中の廃棄に係る年間費用を出しました。
そして、枝がついたディスポ(使い捨て)のものにしたら、鑷子(せっし)を滅菌する費用もかからないし、有効期限も長いしというのを、企画書を書いて提案したことがありました。そして、その企画は通ったのです!
よりよい風に改善したり、考えたり、そういうことが好きだったのだと思います。

透析部門に配属された時も、機械のメンテナンス等で専門的な知識のある臨床工学技士が専属でいた方がいいと考え、その思いをまとめて提出し、その時も提案が通りました。
今思えば、その時の上司だった師長や部長がお膳立てしてくださったのだろうなと思います。

行政での勤務・大学院進学について

病院から石川県庁へ異動になる前に、「認定看護師にならない?」と言われていましたが、その時は認定看護師に関心がありませんでした。
それを確認されたのが12月くらいで、その後3月に石川県庁への異動が決まりました。その時は廊下を泣きながら歩きました。行政で働いている看護師がいることは知っていましたが、どういうところなのかも分からないし、不安でした。
看護行政に携わるとはいえ、転職したのと同じ感覚です。
事務仕事も慣れないし、周りは看護師ではないのでなかなか馴染めないですし。でも県庁で勤務していた時には、「江藤さんって事務の人だと思ってた」「看護師なんだ!?」と言われました(笑)。

負けず嫌いなので、時間外勤務をするのが嫌で、「どうしたらこのデータを瞬時にまとめることが出来るのだろうか」と、効率の良い仕事をすることを考えていました。そのためにエクセルの本を買ってみたり、採点ソフトを導入したらアナログでやるより時間の削減になるという提案をしたりしました。どうしたら業務改善が出来るのかを考えていました。

県庁では色々な事業に携わったのですが、その中の一つに助産師出向研修支援事業があります。
例えば、病院は助産師が多いですが、正常分娩は少なく、帝王切開などのハイリスク分娩が多いです。
一方診療所は助産師が少ないですが、正常分娩は多く、ハイリスク分娩は少ないです。
そこで、それぞれの助産師が互いの施設へ1~3ヶ月ほど出向し、病院の助産師は正常分娩の経験を蓄積、診療所の助産師はハイリスク分娩の対応を学び、それぞれのスキルを持って自分の所属するところへ帰ってきてもらいます。当院では、今年度2人の若手助産師が民間のクリニックに出向する予定です。

当院ではコロナ禍に、様々なハイリスク分娩を受け入れましたが、当院の助産師も看護師もしっかりとした知識と、スキルをもって看護を提供しています。私はそんな職員をリスペクトしています。

その他、県立看護大学のキャリア支援センターでの、認定看護師教育課程についての事業も携わりました。県内にはそれを学べるような教育機関がなく、県外に行って長期研修を受けるとなると、家庭をお持ちの看護師は受講がなかなか難しいと思います。私も認定看護師にならないかと言われた時に、ちょっと難しいなという判断をしていたので、県立看護大学にあれば皆が通いやすいと思いました。
今は当院の職員を教育機関へ講師や受講生として派遣しています。自分自身が携わった事業について今は利用する立場ですが、それは嬉しいです。県内の病院や看護師のためになるようにという強い思いで手掛けた事業ばかりなので、「やっぱり役に立ったじゃん!」と思っています(笑)。

石川県庁で6年勤務をし、その間に大学院へ3年行って修士をとりました。学校も病院も県立一本でやってきました。
大学院での専門は「看護管理分野」です。行政に行った時は主査という立場でしたが、2年経つと師長と同じ専門員という職位になりました。専門員は病院に戻った時には師長職になります。
そうすると戻った時に、マネジメントも分からないし、どうしようと思いました。また、県庁の仕事でいろいろな病院の看護部長とお会いする中で、「マネジメントって面白いな」と興味を持つようになりました。そんな時に県の事業で、県立看護大学の先生にお会いしました。その時の先生との出会いが契機となり、大学院を受験することを決めました。私にとっては一大決心でした。

大学院へ進学後は、長期履修コースを選択し3年間学びました。県庁でフルで働きながら、火曜日は18時から21時まで、そして土曜日は丸1日座学で、1年目はひたすら単位をとりました。
そして、2・3年目は自分の研究・修士論文に勤しむという感じでした。私が修士論文を書いている時に、次女が国家試験の勉強をしていて、長女は私たちにご飯を作ってくれるという感じで、あまりストレスなく大学院へ行くことができました。
当時は仕事のストレスを大学院に行って頭を切り替えて勉強して、院の論文が煮詰まると県庁に戻って仕事をするという感じでした(笑)。
忙しい中でも折り合いをつけたり、進捗管理や計画を立てて物事を進めたりすることは得意かもしれません。
看護師のキャリアに興味・関心があり、研究テーマは「認定看護師資格を有する看護師のキャリア発達の構造とプロセス」というものでした。

県庁の後は脳外科の師長として病院へ戻ってきましたが、その時は楽しかったです。部署のスタッフと一緒に、洗髪や足浴などの患者さんのケアをしました。師長なので本当は看護実務はしないのですが、手を出したくなるのです。患者さんの喜ぶ顔が自分の励みになったり、「私が看護師になりたかったのってこういう笑顔を見たかったからだ」と再認識したりしました。

好きな言葉・座右の銘

好きな言葉は2つあり、まず1つは吉田松陰の言葉で、「一日一字を記さば、一年にして三百六十字を得、一夜一時を怠らば、百歳の間三万六千時を失う」です。忙しくて疲れていても、1つでもいいから継続するということで、その努力の積み重ねが大きなものになるよと。

もう1つは、「人生に迷ったときは、難しい方、困難な方を取れ。」です。自分への戒めで、迷ったら楽な方ではなく、困難な方を取るようにしています。
ただ、自分に対して厳しくあるべきことを人に要求してはいけないと若い時に師長さんに言われました。「あなたと他の人は違うんだよ」と。
「自分はできるのに、どうしてあの人はできないんだ」と、生意気な時があったのだと思います。その時に本を読むなどして、多様性というものや、人は違うということを認識することができました。ちょうど子どもと進路などで意見が食い違って、子育てでも悩んでいる時期だったのですが、人を認めることが自分には欠けていたのかなと思いました。
いろんな人がいて、1つの部署が成り立っているのだから、自分と人は違うという認識を持つことが大事だなと思いました。

子育てしている中でキャリアに悩むこともありましたが、いい上司に恵まれてきたと思いますし、院内保育や夜間保育も利用して、この病院に育ててもらったなと思います。離乳食を食べさせてもらって、おむつトレーニングもしてもらって(笑)、この病院には感謝しかありません。
上司にキャリア支援をしていただくなど、道をつけていただいたような気がします。だから、この病院に恩返しをしないといけないなと思います。
親が入院している病院から呼び出された時も、当時の部長が「仕事を気にしないで行ったらいいよ」と言ってくださり、親身に話を聞いてくださいました。子育てや親の入院時など、その時々に良い上司に恵まれました。

休日について

週末は意図的に仕事のことを考えない時間を作ります。メンタルリセットの方法としては、ドラマや映画を見て過ごすことや、ゆっくりと入浴することです。お気に入りの入浴剤を入れて、音楽を聴きながらゆっくりお風呂に入ると心身の疲れがとれます。

アフターコロナに向けて

看護部長となって1年半たちますが、振り返ってみると、コロナウイルス感染症への対応を通して得た経験は看護管理者としての財産だと思います。これからも、県民から安心・満足・信頼していただける病院を目指して取り組んでいきたいと思います。

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