金沢市立病院

中西 容子さん 【お名前】 中西 容子さん
【病院名】 金沢市立病院
【役職名】 看護部長、認定看護管理者、保健学修士
【これまでのご経験】
学校卒業→国立病院で勤務(脳外科・耳鼻科・産婦人科外来)→金沢市立病院(外科・消化器内科・手術室・循環器内科・結核病棟など)
看護部長4年目。※取材日…2016年6月
 

看護部長のお仕事について

朝来て、夜間の救急患者さんの受診状況をチェックします。そして、全体の患者数や病棟の出入りの状況、今日の手術の予定をチェックした上で、管理当直からの申し送りを聞いて、夜間になにか問題がなかったかを把握します。その後、今日の予定を安全管理者と確認をし、病棟と外来のラウンド、気になるスタッフがいたら顔を見に行きます。師長さんたちからも変わったことや、気がかりなことの報告を聞きます。このように、午前中はあっという間に終わってしまいます。
午後からはいろいろな会議があったり、物を書いたりしています。毎週月曜に院長と話をしているのですが、今年診療報酬が改定され、病院には変化が求められている状況なので、これからの病院や看護について考えたことを書いたり、戦略を考えています。自分が動くのではなく、その仕掛けを担当者にふってみたり。そのふったことが、結果どうなったのかということを確認しています。
看護部の年間目標に基づいて各部署で目標を立て、今年度やっていくことを出してもらい、その後、中間・最終と評価をしていきます。そういったことを毎年行って、次年度どうしていくかを順番にやっています。やはりその時々の状況や、周りの環境の変化があるので、その中で「看護師ができることってなんだろう?」ということを考えています。私だけで考えるのではなく、副部長さんたちと会議で考えます。看護部としての中・長期計画も立てたのですが、計画を立てただけではなく、具体的にどのように進めていくかや、進捗をどういうふうにチェックしていくかを話し合っています。

仕事のやりがいについて

元々、看護師になろうと思ったきっかけは、とにかく早く自立したいという思いからでした。出来るだけ家から遠いところに行きたかったのですが(笑)、親からは「何をするかわからないから、北陸三県から遠くへ行ってはだめ」と言われて。それで富山県から石川県に来ました。看護師に憧れがあったわけではなかったのですが、私の部活の先輩が看護師を目指して進学されて、その時に「看護師という仕事があるんだな」と認識しました。その後、「看護師さんてどんな仕事なんだろう?」と調べていくうちに、国家資格だから資格があればどこでも働けるなというふうに思いました。
実際に看護師になってみて、人と関わる仕事で対象の方は様々ですし、同じ病気でも背景が全然違うので、1つのパターンに収まらないということが大変ですが、そこに興味深さを見出しました。看護師の仕事は終わりがないので、そこがいいなと思いました。例えば、ものづくりの仕事は、何か製品を作るとかそのための開発をするということにやりがいがあると思うのですが、人と接する仕事は人との関わりがあって初めて生まれてくるもので、自分じゃない他人の方のお世話をするって奥深いんだなと、仕事をしながらすごく感じます。また、ずっと勉強しなきゃいけないなと思うのですが、そこがまたいいところでもあり、やりがいでもあるのかなと思います。医療の世界はすごく変化が速いので、学ばないと置いてかれると思います。いろんな便利なものが出てきていますが、やっぱり最後に残るのは人なので、人との関係性で成り立つ仕事であるからこそ、自分をどんどん磨かないといけないなと思います。看護師になってから、一度も看護師を辞めたいと思ったことはないですね。

看護師のキャリアプランについて

当院の入職時の研修では、5年先10年先を見つめながら、まずはこの1年で自分の看護師としてのキャリアをどうデザインしていくかという話をします。たぶん新人看護師は目の前のことで精いっぱいだと思うのですが、徐々に看護師としての経験を積んでいって、自分が将来的にどういうところを目指したいかを、描きながら働いていってほしいということは伝えています。うちは自治体病院なので、自分のキャリアアップのための支援や制度が比較的整っており、そういうものを利用しながら組織に貢献できる看護師になってほしいと思いますし、そのためのキャリアを支援する仕組みをどんどん活用してと言っています。元々、院長も保健学科長をされていて、人を教えることや学ぶことといった「教育」をすごく大事にしてらっしゃるので、看護職について大学院で学び続けることについても積極的です。

自分の今後の夢としては、看護師がずっと急性期で働くのはしんどいですが、せっかく看護師は技を持っているので、看護師がずっと働けるようなところを作りたいなとは思っています。年齢を重ねても看護師のキャリアを活かせるようなものを作りたいですね。
あとは、自分の次の人にバトンタッチしていく時に、できるだけ良い環境にしておきたいというのはあります。

面接などで学生に質問すること

以前までは、実習の場面での印象に残った患者さんとのかかわりや指導看護師さんのことを聞いていました。最近は「自分の強みと弱み」「弱みを強みに変えるための努力や取り組み」を聞いたりしています。自分が苦手だからといって弱みを放っておくのではなく、なんとかいい風に変えていくために努力することって大事なことだと思います。患者さんや先輩たちと関わっていく中で、うまくいかないことってありますし、そこは避けては通れないと思いますので、それらをどうしていくかを考えることが大事ですね。弱みを弱みのまま終わらせるのではなく、変えられるようにどう努力しているのかということを聞きたいなと思います。「どうしてこの病院を選んだのですか」「なぜ看護師になろうと思ったのですか」というような、よく聞かれる項目は学生さんは決めてきてスラスラ答えるので、私が聞くようなことはあまり聞かれないのかなと思います。

学生へのアドバイス

これから看護師を目指す方には、看護師は大変ではありますがやりがいのある仕事なので、是非看護の現場を一度見てほしいと思います。看護体験などを通して、この仕事の貴さややりがいを見て感じて、目指してほしいなと思います。高齢社会がどんどん進んでいっているので、看護はすごく大事な仕事だと思います。それは病院の中だけではなくて、地域の中においても家族をケアする上でも役立つ仕事だと思います。

看護部長になる前について

私が学生で実習をしていた時に、脳腫瘍の患者さんを担当していたのですが、当時はあまり積極的な治療がされていなかったんです。麻痺や失語もあって。それでも患者さんの奥さんが面会に来て、一生懸命な感じに見えたんです。それなのにやっている治療っていうのが、ちょっとリハビリをしているくらいにしか見えなくて。それで、その頃の脳外科の医長の先生に受け持ちの学生として「なんでもっと積極的に治療をしないんですか」という失礼な質問をしてしまったんです。「家族があんなに一生懸命なのに、なんでなんですか。」ということをたしか聞きにいって。その時に先生に「なにを生意気なことをいっとるんや。」と言われたのですが、その後その病院に就職してからも、その先生に「あ、あの時の学生やな」と覚えていてくださって(笑)。それからはかわいがってくださいました。そんなこともありましたね。

30代の時に看護師長になったのですが、師長さんが何をするのか、管理って何をするのかが当時わからなかったんですね。その頃に看護協会のファーストレベルの管理者研修というのがあって、是非行かせてほしいと手を挙げました。先輩の師長さんでまだ研修に行ってらっしゃらない方もいたのですが、「お願いですから行かせてほしい」という風に(笑)。その研修に行って、なんとなく見えたような見えないようなところで、その次の年に、石川県でセカンドレベルが初めて開講されることになって、「続けて行かせてほしい」とお願いをしました。ファーストもセカンドも欠席せず、レポートを出せば認定されるんですが、それでいいのかなと思いました。きちんと試験を受けて「あなたは合格しましたよ」というのがないと、自分自身が本当にやれているのかどうかわからなかったんです。それで、サードレベルに行きたいと思いました。その当時の部長が私に好きなことをさせてくれていて(笑)、「やりたいと思うなら行ってきなさい」と言ってくださいました。2ヶ月ちょっとくらい病院を離れて神戸に行かなければいけなかったのですが、サードレベルを受講して、それがすごく面白かったですね。全国から看護師が集まっていて、今でも毎年同窓会をしています。師長さんから看護部長さんまでいろんな方たちが参加されていたのですが、みなさんそれぞれ課題を持ってきていました。自分の病院や施設だけではなく、自分たちが住んでいる地域をふまえて看護管理をどうしていくか、という課題を持ってきていたので、すごく刺激的な2ヶ月でした。何十年ぶりの一人暮らしも、すごく充実していました(笑)。自分がこういう風にやりたいということを形にして、それがきちんと評価されて、というのが心地よかったのを覚えています。その頃は合格率がすごく低かったのですが、その翌年に認定試験を受け、なんとか認定を取ることができて、よかったなと思いました。

また、大学からの卒業生も増えており、ちょうどその頃に院長の薦めがあり、「これからの管理者や上に立つものは大学院で学ぶことが大切だ」ということで、働きながら金沢大学の大学院に入って2年ほど研究をしました。それもすごく楽しかったですね。研究室に同期で入ったのが、私と学部からそのまま大学院に入ってきた自分の息子と同じくらいの学生でした。私は、その臨床経験のない学生の話が刺激的でしたし、彼女も私が臨床の現場での話をするのでそれが刺激的だったようです。全然かみ合わない2人でゼミをしていると、教授もすごく面白がって(笑)。大変でしたけど、違った意味での学びになりましたね。修了したのは東日本大震災の年だったのですが、災害支援に行っていたので修了式には出られなかったんです。後日、改めて教授から修了証書をいただきました。
この病院では、メタボリック支援外来があるのですが、患者さんの生活習慣の改善や減量が成功するパターンとうまくいかないパターンがあるんです。そこで、支援に関わっている看護師のタイプによって、結果が違うのではないかということを、大学院での研究テーマにしました。上から指導していくタイプの看護師や、患者さんに伴走して目標達成に向けて指導していくような看護師がいて、いくつかその看護師をタイプ分けしました。経験やキャリアではなく、看護師の指導スタイルによって、患者さんの成果や達成感などが違ってきましたので、それを研究としてまとめました。

自分が患者の家族の立場になって

私の両親が昨年、一昨年と病気で亡くなったのですが、患者の家族という立場を通して、看護師を見る機会がありました。いろんな看護師がいたのですが、心地よさを感じる看護師さんとそうじゃない看護師さんがいるというのは、家族の立場でも感じたので、ケアを受けていた私の親も「あの看護師さんはね…」とはっきりではないですが言っていました。その時に「うちの病院の看護師はどうなのかな?」「うちの方がいいかな」「うちと一緒だな」ということを感じましたね。自分ではない他人だからこそ、気配り・目配りをしなければいけないと思いますし、そういうことの大切さってなかなか座学では学べないことなので、そういうことは若い看護師に伝えたいなと思っています。
そういうことを思うと、私たちの先輩にあたる60・70代ってものすごく技を持った方たちが多かったなと思います。今は家庭内の教育も看護の教育も変わっていますし、若い方もどんどん変わっています。最近の入職時の研修って、「社会人として」や「しつけ」というところから入るんです。やっぱりできていて当たり前ということを知らない・出来ていないということが多いんです。でも、それは患者さんには通用しないことですから、きちんとしなければいけないことですね。

地域との連携

うちの病院は地域の中の病院で、地域と連携する病院ということを柱にしています。病院のモットーに「安心・安全」の他に「あじわいの医療を提供する」というのがあります。自分が主体的に動かないと、あじわうことってできないと思うんですね。それで、病院というこの環境を市民・地域の方にも利用していただくというということをやっています。例えば美大と連携して、いろんなアートの活動をする中で、患者さん・地域の方・職員が一緒に作品作りをしたり、環境をデザインしたり、毎年ホスピタルギャラリーということで病院のロビーで美術館みたいなこともしています。地域の方も一般の方にも作品を出していただいて、病院という空間をどんどん利用していただく活動を通して、この地域一体をコミュニティという捉え方で、医療に参加していただく取り組みをしています。
私達も、どんどん地域に出向いて行って開業医さんと連携し、公開講座をしたり公民館で話をしたり、健康教室をしています。最近は「まち塾」といって平和町の食べ物やさんと一緒に健康食の開発をしています。この地域一帯で一緒に参画している病院という位置付けで活動していますね。金沢は病院や開業医さん、施設も多いです。施設ではご高齢の方も多いのですが、看護職員が少ないので、そういうところと連携して、夜間いつでも受け入れますよという体制を整えています。
今年は認定の看護師さんを活用して地域に出向いたり、看護外来のような取り組みしたいなとは思っています。退院された後のご家族のケアや療養相談など、看護に関する相談ができる仕組みができたらいいなと。そのプロジェクトチームは作ったので、そこがいま計画を立てているところです。

好きな言葉・座右の銘

この間、相田みつを展を見る機会があったのですが、すごく感激しました。書体も素敵なのですが、書いてある文章がどれも素敵で、感銘を受けました。「セトモノと~」とCMで見かける言葉も相田みつをの言葉だったんだなって展示を見て知って。
好きな言葉で言うと「感謝」ですかね。結局、自分ひとりでは何もできないので。感謝の気持ちがあれば人と争うこともないですし、面白くないことがあったとしても、「ありがとう」と一言言えば、おだやかになりますし。自分への戒めかもしれないですね。ありがとうという言葉は簡単ですが、ありがとうって言えない時もあるじゃないですか。でも、やっぱりそこを意識して言うことでおさまるものはおさまると思うので。

休日について

ここ数か月は、就職説明会や病院見学会、協会・連盟関係の会、採用試験などで、休日も仕事をしていました。しっかり休みが取れる時には東京へ歌舞伎を見にいったりします。趣味ですね。猿之助さんや先代の勘三郎さんが好きです。私が師長会でよく歌舞伎のことを言っているものだから(笑)、師長さんも東京での研究会のついでに見に行ってましたね。
その他の休日の過ごし方としては、孫の世話もしていますね。まだ10ヶ月で笑顔に癒されます。
ON・OFFはつけているつもりですし、仕事は家に持ち込まないようにしています。大学院で研究をしていた頃に、家で論文を書いていたこともありますけど、今はそういったことも一旦終わったので仕事は病院の中だけでしています。

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