岡部病院

高橋ひろえさん 【お名前】 高橋ひろえさん
【病院名】 医療法人積仁会 岡部病院
【役職名】 看護部長、精神科認定看護師、一般社団法人日本精神科看護協会石川県支部事務局長、石川県立看護大学 臨床教授
【これまでのご経験】
看護学校卒業→1つ目の病院に10数年勤務(透析病棟や外科・婦人科・皮膚科の混合病棟など)→老人保健施設→岡部病院 ※取材日…2016年7月
 

看護部長のお仕事について

朝早くに病院に着くように心がけており、まずはメールチェックをします。日本精神科看護協会石川県支部の事務局の役割もあるので、そのメールやFAXの対応もします。いろんな書類を院長に渡すため、8時までに書類を揃えます。月曜日は一週間の入退院の合計を出し、8時半までにしなければいけないことをこなします。あとは、夜中に電話がかかってきた病棟の見まわりに行ったり、スタッフの様子も見に行きます。スタッフからも声をかけてくれますね。「今日は化粧をしてますね。何かあるんですか。」とか言われたりします(笑)。

スタッフからの相談もよく受けます。「こういう風に言われて、私はこう思うのですが、どう思いますか。」と言われたりして。そんな時は「自分が正しいと思った方でいいんじゃない。自分が正しいと思って、そういう風にしたんだから、それでいいんじゃない。自信持てばいいよ。」と伝えています。そうすると看護師も「そうですよね!」と言って、元気に戻って行きます。誰かに何かを言ってもらうことで、自信がつくんだろうなと思います。
最初は師長を通じて相談にきてと言っていたのですが、それではメンタルが下がるのを見逃してしまうスタッフがいるなと思ったんです。直接聞かなきゃいけないこともあるんだなと、少しずつ分かってきたんです。現在はなるべく師長を通じて来てねと言っていますが、直接相談に来てもらう場合には師長と一緒に来てもらいます。

仕事のやりがいについて

私が部長になった時、同時に師長に昇格した人がいますが、人前で話すのが不慣れで苦手な人もいたんです。院内講義で話せなかった人が、どんどん話すのがうまくなってきて、理事長にも「あの人すごく成長したよね。」と言ってもらった時はとても嬉しくなりました。スタッフからも「○○師長いいです!頼りになります。」と言ってくれる時がすごく嬉しいし、自分が育てたなんてことは思わないですが、育ってきてくれているなと感じた時は本当に嬉しいです。

その他に、理事長に「高橋さんにまかせるよ。」と言われた時は、ものすごく安心します。人事のことで悩むことがありましたが、理事長は「高橋さんがいいと思うなら、やりたいようにしていいよ。」といつも言ってくださるので、信頼されているんだなという風に思えた時にやりがいに繋がります。自分の事を理解してくれているというのは、すごいことだなと思いますし、私も理事長のことを尊敬しています。理事長は患者さんのことをまず考えていますし、管理会議でもいろいろな医療に関する情報を共有してくださいます。また、問題があるとお伝えした時も、その一つ一つを書き留めて改善していくようにしてくださって、優しい方です。理事長は病院の経営はもちろん、患者さんのことをよく考えてくださいます。

看護師のキャリアプランについて

人事異動をマイナスにとらえる人もいますが、私は決してマイナスではないと思います。いろんなことを経験して、私自身がよかったと感じています。それぞれのところで経験知が上がるし、何一つ無駄なことはないので。希望が通らない場合もあるかもしれませんが、そこだけが働く場所じゃないし、他のところも知った方が勉強になるよということを考えています。すぐにわかってもらおうとは思いません。いろんなことを考えて人事を行っているんだということを、何年か先にその人が本当によかったなと感じてくれれば、それでいいかなと思うようにしています。心配でこっそり見にいったりはしますけどね。

認定看護師になりたいという人は増えてきていますし、取得することが目的でこの病院に就職した人もいます。他の認定看護師の資格を持っている人も入職しました。他には、いろいろな学会に行ってもらったり、新人研修やトピックス研修、日精看での研修などもあります。
自分自身は平成15年にこの病院にきて、入って4年目くらいの時に認定看護師の資格をとりに、1年間東京・京都へ行きました。それも理事長がとても寛大で、資格をとるためのサポートをすべてしてくださったんです。大変だというのは聞いていたのですが、県外に友人ができて財産になりました。今でもなにかの時には情報交換したり、学会の時には抱き合って再会を喜んだりと、会いたかったと心から言える人が周りにいます。

その他に、今は日本精神科看護協会の石川県支部の事務局長もしています。「こころの日」ではイベント等も行っています。一緒にやっている仲間にも本当に恵まれていて、支えられていますね。ちょっと検査入院しただけでも来てくれますし、感謝ですね。

私は認知症の認定看護師なので、看護部長になる前にも消防署やスーパー、小学校や銀行などの地域でも認知症についての講義をしていました。講義では「こういう方が来られたら、そっけなくするのではなくて、温かい声掛けをしていただけますか」と話しています。その他にも、グループホームの職員さんたちに講義をしましたし、そういった講義はボランティアで行っていました。
これからのこととして、定年になったら、そういうことをもう一回やりたいなと考えています。それをキャリアとしてとらえるかは分からないですが、「地域貢献」といったような地域に向けての仕事がしたいですね。友人が若年性認知症の会の事務局をしているので、今でもそれに関係するチラシや案内を作ったりしています。

学生と精神科

学生さんがここに面接を受けにくる場合もありますが、学校を卒業してすぐ精神科で勤務するというのは多くはなく、ここは中途採用の人が多いです。これは多分学校の先生がアドバイスされているのだと思うんですけど。一般科で、ある程度キャリアを積んで、看護技術のスキルを磨いてからの精神科ならいいけど、すぐに精神科に入職になると、看護技術が遅れるのではないかと考えられているんじゃないでしょうか。もちろん、精神科にもたくさんの重要なスキルがあるので、私は精神科でコミュニケーションスキルを学んで、一般科に行って看護技術を学んでも全然遅くないと思いますね。リエゾンナースがいるくらいなので、職員のメンタルをフォローしたり、オペ前で不安な患者さんの精神面のケアをしたりする看護師の役割は重要ですね。患者さんが隠している本音や気持ちを見抜いて、それをケアできるような看護師が育ってくれればいいなと思います。

学生へのアドバイス

まず不安に思っていることは、どんどん聞いてほしいですね。聞かないと溜まってしまいますし。
私は学校で精神科看護を教えていますが、「誰でも欠点があるし、誰にでも良い所もある」「道の途中で投げ出さないで、進んでいってほしい。」ということを学生に伝えています。
その他には「自分がしたことは自分に返ってくる。」ということですね。何か問題が起こった時にも、自分の行動が原因で起こったと思えば、誰のせいでもないので誰かを憎む必要もないですし、楽に生きられる方法だと思いますね。私の叔父がお坊さんなので、幼い頃からよく浄土真宗の話を聞いていました。自因自果・善因善果・悪因悪果というような。そういう因果の道理っていうのは崩せないものなので、自分の行いで自分がこういう目に遭っているということを、私も小さい時からよく言われていて、そのことがずっと頭の中にありますね。

看護師になる前

まず、高校を出てから大阪の学校に行ったんですが、半年も経たないうちにやめてしまって。あんまり今の学校にいても、意味がないなと思ったんです。やめたら、親にすごく怒られて勘当みたいな形になって、仕送りしてもらえなくなったんです。その後金沢に来て、ある病院に事務担当として入社したのですが、その時に「あなたまだ若いし、看護師になるのはどう?3ヶ月後なんだけど、看護師の学校の試験があるから受けてみる?」と言われたんです。「え!?」と思って(笑)ビックリ。「2年制と4年制と5年かかるのがあるけど、どうする?」と言われて。その時の私は「そりゃ2年に決まってるだろう。」と思いました(笑)。そして、県立の学校に受かりました。県の学校だったので厳しかったのですが、とてもいい先生に恵まれました。「今までこれほど勉強したことがあるかな?」という程、准看護師の資格を取得する学校の時に一生懸命勉強をしました。高校の時もこんなに勉強しなかったなと思いました。

仕送りも止められたままですから、准看の間は働きながら学校に通いました。そして、准看護師の免許をとって、その後に全日制の看護学校に行きました。全日制の学校に行くと思った時に両親に話をしたのですが、その時には少しなら仕送りをすると言われて。でも、「勝手に学校をやめたんだから、自分で責任もってやりなさい」と言われました。本当に厳しい親でしたね、特に母親が。「何があっても、自分の責任の元でしなさい」という風に育てられて。末っ子で、小中学校の頃は勉強しなさいとは言われなかったのですが、人に迷惑をかけることに関してはすごく厳しかったです。子どもの頃、通ってはいけない段々畑を飛んで歩くのが好きだったのですが、そうするとよその家のおばあさんから怒られて、母親が一緒に謝りに行って、頭を押さえつけられて。すごく厳しくて、でも優しい母でした。

全日制の学校でも、すごく学びがありました。厳しい指導者が何人かいたのですが、私はその主任さんが大好きで、後ろをちょこちょこついて歩いていたんです。そうすると、その方たちもかわいがってくれて。他の学生と違って、指導されて泣いたりすることはなかったですね。そして、4年かけて看護師になりました。

看護師になってから

1つめの病院に入った時に、担当病棟に一番厳しい主任がいたのですが、私はその主任が大好きで、そこを第一希望にしていました。そしたら、「珍しいね」と言われて(笑)。叱られた経験もありますが、学びの経験が多かったです。人間としてすごく尊敬できる方でした。その主任とその後、この病院でも一緒に勤務し、家庭の都合で退職しましたが、今でもかわいがってくれていますし、身体のことなどを気にかけてくれています。
ある時、義理の母が病気で亡くなって、私が夜勤できなくなってしまいました。その時、病院をやめなくちゃいけないかなと思ったのですが、その厳しい主任さんと婦長さんが「やめない方法はないのか」「いつか子供たちは大きくなるし、何年か経ったらまた夜勤はできるようになるのだから、それまで別の部門に行ったらどうか」と言いに来てくださいました。それで、他の部門に移った所、やっぱり夜勤ができないことに対しての風当たりが強かったです。でも、私はそれについては凹みはしなかったのですが、申し訳なくて5年程でやめることになりました。

その後、老人保健施設で働かないかというお誘いがありました。そこでも夜勤はできないと伝えていたのですが、面接でそれでもいいからきてくれと言われて。入ってみると「何故あなただけ夜勤ができないのに採用されたの?」というようなことは言われましたね。その時私はバシッと言いましたね。そしたら、それ以来、そういう風に言われることはなかったですね。
その後、看護・介護師長になって、以前夜勤ができないことで意見を言ってきた人の中の1人が退職する前に、「高橋さんみたいにハッキリと、正しい事は正しい、間違っていることは間違っている、と言える人間と今まで出会った事はなかったです。問題があって休んだ時も自宅まで迎えに来て、最初はイヤミかと思ったけど、問題をこれ以上大きくしないために迎えに来てくれたんだなとわかりました。年下だけどすごく大好きな部長さんです。」と言ってくれたんです。その時に、「あーよかったー!」と思いました。今も昔も自分が正しいと思ったことは言ってきていますし、ちょっと正しいかどうか分からない時は間を空けたりしています。これまでの人生において、母の影響が強いのかなと思います。

その老健の事務長とは今でも交流がありますね。管理職とはどういうものかということについて、よく教えてくれた人です。スタッフと一緒に動いているだけが管理じゃないし、自分が動いてばっかりいたら、スタッフが働きやすい環境づくりができないだろうと。1週間に1回、管理の勉強をしようということになりました。その事務長はすごく頭がきれる人で、今でもなにかあったら公私ともに話にのってもらっていますし、年に2回くらい前の職場の役職者たちと「9人会」というのを開いています。いい方たちが周りにいてくれるので、すごくほっこりします。前の前の病院での関係も続いていますし、良い人間関係を築かせてもらって、有り難いなと思いますね。周りの人達が明るくて、これまでもいろんな方に助けられていますね。親にも助けられ、友人にも助けられという感じですね。

岡部病院に来てから

何故この病院に来たかというと、老健で看護・介護師長をしていると、高校や小学校などあちこちに講義にいかなければならなく、そこで精神や認知症について語らなければいけない時があったんです。その他にもハローワークの関連機関でも丸2日間の講義を頼まれたりして。その時は精神科について何もわからなかったんです。そんな時に、友人がこの病院に勤めていたので、精神科についてのビデオを借りに来たんです。その時に、ほっとする、雰囲気のいい病院だなと思って。休みの日もここへボランティアに来ていて、みなさん優しく迎えてくれましたね。患者さんもニコニコして話しかけてくれて、楽しかったです。そうしてるうちに、精神科っていいなと感じて、独学で学ぶにつれて「こんなに深いのか」と思いました。ビデオには理事長の職員向けの研修についてもあったのですが、とてもショックを受けて、今まで私は看護師として何をしていたんだろうという思いになりました。理事長の患者さんに対する思いが、すごく伝わってきたんですよ。患者さんにはできないことばっかりではなく、できることがあると。「ウェルネス」といいますが、各人が与えられたその状況の中で、自らの潜在的な可能性を最大限に求める生き方です。「誠実」がこの病院の理念で、「ウェルネス」を活かそうというのが、理事長ご夫妻の考え方なんです。「できないことがあっても、地域で暮らしていけるように支援していくのが、自分たちの役割だ」と、ビデオの中ではっきり言っていたんです。すごくかっこいいなと思いましたし、最後はここで働こうと考えました。それで、その時の施設での看護・介護師長としての自分の限界も感じていましたし、30代でその役職についたのも、まだ早いなと思いました。

この病院で、教育研修委員長も経験させてもらいました。教育研修委員長になり6ヶ月も経たないうちに、看護部長をやってくれと言われました。自分はそんな器ではないとわかっていたので、家族に相談すると、「そんなわがままが通る会社なんてない。」と言われ、「そうか、じゃあ頑張ろう。」と思いました。

私生活では、父が4年半前、母は4年前に亡くなりました。亡くなる7日前に沢山のことを母と話したのですが、「お前は大事な役割についちょるんやけん、お母ちゃんのところにはこんでええ。お母ちゃんが死んでも、葬式にはこんでええけんの。」と言われて。なにを言ってるんだろうと思ったのですが、自分でちゃんとわかってるんだろうなとも思いました。「お母ちゃんは死んで、葬式の頃は煙になってしもて、なんもわからんけんね。ハハハ。」って笑ってるんですよ。なんという強い人なんだと思いましたね。それが今の私の支えというか。そんな母の影響を私はすごく受けていますね。母親がいなかったら、今の自分はいないと思います。

好きな言葉・座右の銘

座右の銘は特にないのですが、相田みつをさんの言葉は好きで、家にも飾ってありますね。本を読んでいたらほっこりします。
ただ、そういう気持ちは活字ではなく自分自身で感じとるものが一番かなと思いますね。相手とコミュニケーションをとって、相手から感じ取ったほっこりした気持ちはずっと続きます。人と接していて笑いあえたとか、そういうほっこりした気持ちが続くことが幸せですね。
その他に「主婦の笑顔は家庭の光」という言葉も好きですね。でも、まったく実践できていませんが(笑)。

休日・勤務後について

デパ地下に行ったり、いろんな種類の紅茶を飲んだりするのが好きですね。紅茶は初めての味を飲んだりして、新たな発見に繋がるのがいいですね。
部長になる前は、日曜日になるといろんなところへ講義に行ったりしてたのですが、今は病院とのON・OFFじゃないですけど、ボーッとしていますね。昔、小学校に講義に行ったのですが、その時に家に遊びにきていた娘の同級生に「あれ、本当に○○ちゃんのお母さん!?いつもと違うよね?」と言われていましたね。全然家だと違うんですよね、ジャージだし。勤務中は気を張っているので、週末は体が痛いんです。休みの日は、ソファーでドロドロとしています。そこで刑事ドラマなんかを見たりしています。名探偵コナンを見たり、推理系のものが好きですね。

仕事が終わった後に、友人と2人でカラオケに行くこともあります。ジュースやソフトクリームなども食べたり飲んだりできるのですが、それどころじゃないんですよ。もう、歌わなきゃいけないんですよ(笑)。行っているところは壁が薄いのか、私たちが行くと若い子たちは出ていくんですよね、なぜか知らないんですけど(笑)。カラオケに行くと、すごくスッキリします。踊って、まるで赤ちゃんのように汗もすごくて。「フーッ」っと合いの手をいれたりして、もう部長じゃないですよね(笑)。でも、それがあるから楽しいですね。発散という感じですね。
あとは友人と食事にいったりもします。美味しいラーメン屋さんにいったり、カフェでパンケーキを食べたり。ON・OFFははっきりしていますね。

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