金沢医科大学病院

才田 悦子さん 【お名前】 才田 悦子さん
【病院名】 金沢医科大学病院  【役職名】 副院長・看護部長
【これまでのご経験】
看護学校卒業→石川県外の大学病院(外科)→青年海外協力隊でマラウイへ(小児科)→日本に戻り、協力隊員のケア→夫の赴任地ナイジェリアでボランティア→金沢医科大学病院(胸部外科・歯科口腔外科・外来)→石川県外の病院(内科病棟・外来)→金沢医科大学病院(外科外来など)
※取材日…2016年10月
 

看護部長のお仕事について

看護部長ですが副院長も兼務しているので、病院の経営に携わるというのは大きな役割としてあります。病院の会議以外にも教職員として大学の会議にも参加しています。
副部長の時は看護のことを主に考えていましたが、今は病院全体のことになってきますね。例えば、人をどれだけ採用するかといった時には、お金がどう動くかということを考えなければいけません。私はいっぱい採用してほしいのですが、大学は費用対効果を考えますし、それに対してどうするかということを考える必要があります。あとは、師長会という会議を月に2回開くのですが、その準備をしたり、会議の中で何をするかを決めたりします。また、看護師の相談にのったり、面談をしたりします。そして患者さんの安全を守らなければいけないので、それらに関する会議に出るのもそうですし、何か起こった時の対応について病院長に報告をあげることも大事です。

仕事のやりがいについて

スタッフや主任の時は、患者さんの状態が良くなったとか、感謝の言葉をいただくことが嬉しかったです。
管理者になるともっと広い目で見なければいけません。例えばみんなが「こんな風になるといいな」と思うものがあって、それを進めていく時に、私が部長として師長さんたちのバックアップをして、みんなで少しずつ変革することが嬉しいですね。みんなが同じ方向を向いて、何かに対して動くということが、やりがいに繋がるんだろうなと思います。組織を動かすというところまではいってないかもしれませんが、少しでも動かしたいと思って、それに近い行動がとれることがいいなと思います。変わっていけそうな気配がする時は嬉しいです。
看護部近くの廊下には「患者さんの声」が貼られています。患者さんからの指摘もいっぱいあるのですが、褒めていただくこともいっぱいあります。院長がボードを作ってくれたんです。

看護師のキャリアプランについて

まず、「看護師として楽しいと思える仕事をしているかどうか」が1番だと思います。それが基にないと、自分が看護師としてやりたいと思っても、続ける力にならないと思います。あとは「自分はこれをやりたいんだ」という「これ」というものをどこかで見つけてほしいと思います。これがすごく大変なんですよね。早いうちに目標を見つけて、それに向かって進んで行く人ももちろんいるのですが、そういう人はどちらかというと少ないですね。自分は何をしたいんだろうと、悩みながら失敗もしながら、「自分はこれをやってよかったな」と思えるものにたどり着いていくことが、キャリアの中身だと思います。

その為には、どこかで勉強することが必要だと思います。大学院に行くのも良いですし、専門看護師や認定看護師の資格を取ることも良いですし、そういうのを全然取らなくても自分でコツコツと研究を重ねていったり、患者さんの事例を溜めていったり、そういうことができるといいかなと思います。

看護部には教育委員会がありまして、その中に「キャリア教育」というグループがあります。そこではキャリアについて考え、キャリアを積み上げていくためにはどういうことが必要か、そのためにはどう支援していくか考えています。いろんな状況で仕事をしている看護師の動画を作って見せたりもしているのですが、いろんな例が見られて若い看護師にとっては印象的みたいです。
最近は専門看護師や認定看護師、特定行為ができる看護師など、いろいろあるので、若い人はキャリアプランを考えている人が多いですね。昔はキャリアというものが考えとしてあまり固まってなかったので、中堅から上くらいの看護師でまだそこまで考えられてない方もいますね。経験を積めば自分のキャリアプランが築けるかといえば、そうではないと思いますし。最近の人の方がキャリアプランについて考えるのは、世の中の教育そのものがキャリアを考えるものになってきたからですね。それはいいことだと思います。看護部の計画として、こういう人材育成をしたいということで予算を採って、だいたい年に3人くらい認定看護師などの教育機関に送っています。

面接などで学生に質問すること

「看護師として何がやりたいのか」「どんな看護師になりたいか」について聞いています。まだ決めてないという人も多いのですが。看護師になる時には、自分のモチベーションをある程度持っておいてもらわないと、実際に働いた時に辛い事もあるので頑張れないのです。ですから、そのへんはどう考えているのか気になります。

学生へのアドバイス

看護師さんになりたいと思って目指すのだと思いますが、「何故自分が看護師になりたいと思ったのか」という基を、自分でわかっておくといいと思います。私は昔から看護師になりたかったのですが、なんでかなと考えた時に、自分が子どもの時に、病院にかかって痛い処置を受けているその間、看護師さんが私を抱いたり、優しくしてくれたという思い出があって、私もそういう人になりたいという思いが基だったと思います。そういうきっかけは大事かなと思います。
人に言われて看護師になりましたという人もいます。それが悪いわけではないですが、その後大事なのが「看護師になってよかった」という良い思い出や成功体験がないと、その後続けることが難しいのです。だからモチベーションが大事だし、モチベーションに繋がるようなものがあることがいいのかなと思います。

海外での経験について

看護師になって数年はある大学病院で働いたのですが、そこで先輩がアメリカのピースコー(peace corps:平和部隊)というボランティアのことを教えてくれて、かっこいいと思ったんです。そして先輩は「日本にもあるんだよ」と言って、青年海外協力隊について教えてくれました。協力隊に参加するには看護師の経験が3年以上必要だったのですが、私は2年半くらいで試験を受けました。本当は経験的に足らなかったのですが、青年海外協力隊に行くことになりました。

赴任地はアフリカのマラウイという国でした。大学病院では成人の外科病棟だったのですが、マラウイでは小児科の病棟に配属になりました。小児科は実習でしか行った事がなかったので困りましたね。1番仕事で大変だったのは「はしか」です。日本では、はしかで亡くなることはあまりないのですが、マラウイでははしかでお子さんがたくさん亡くなりました。本当に大変なところに来たと思いました。十分な道具もない、薬もないという中での看護でした。
現地では財布をとられたり、自分が病気になって入院したりと色々ありました。でも病気になったりすることで、怖いと思うことはなかったです。ただ、虫が足の爪のところに卵を産んでたのは気持ち悪い!と思いました。それまでは草履みたいなものを履いていたのですが、それからは靴を履くようになりましたけど(笑)。

やっぱりギャップは大きかったですね。アフリカに行ったら亡くなる人も多いのですが、日本の場合と意味が違うんです。マラウイの子供たちはベースに栄養失調があるので、マラリアなどになるとすぐ肺炎を併発し、重症化してあっという間に髄膜炎になるんです。そうなると使える薬が少なく、ベンジルペニシリンとクロラムフェニコールが最高の薬なので、これしかないという状況でした。日本だったら山ほど薬があるし、いろんな処置ができるけれども、現地は本当にできることが限られていました。ガーゼそのものがないので、ヨーロッパから寄付で届いたカーテンや服を切った色とりどりのものがガーゼでした。医療・衛生環境は日本と全然違いましたね。
とうもろこし畑の中にある、教会が建てた病院で働いたのですが、まわりは全くの田舎でした。近所には雑貨屋が1軒あるだけで、パンを買うにも5kmくらい自転車で国道まで行っていました。街に行けばビルがたくさん建っていて、お店もたくさんあり輸入品も買えました。でも、私はナミテテの村が大好きでした。

そうした経験をしたからか、私は物事が変化することが怖くないというか、なんでもありと思っているので、多様性ってすごく大事だと思います。世の中に絶対のものは、ほとんどないと思います。コロコロ変わるのも問題ですが、変わる事を恐れてはいけないと思います。
マラウイで2年経験して、日本に帰ってきてからは協力隊の診療室で、隊員たちのケアや健康管理を1年間しました。

その後は仕事を中断して結婚しました。協力隊の同期隊員だった夫がJICAの専門家としてナイジェリアに行くことになり、私も一緒に行きました。ナイジェリアの時は子どもができる前で、日本の看護師免許はナイジェリアでは使えないので、病院でボランティアをしていました。その任期の途中で子どもができたので、私は先に日本に帰って来て、1人目の子どもを産みました。
その後2人目を産んだ後に、夫が次はスーダンに行くことになったので、今度は子どもを2人連れて行きました(笑)。スーダンでは子供がいたので、ボランティアはしていません。スーダンは水道から泥水が出るようなところでしたが、子ども達は大した病気もしませんでした。

その後、日本に戻ってきて金沢医科大学病院に就職しました。ここで5年ほど勤めた後、夫が県外の大学院に行くため、一家でそこに移り住んで、その県にある病院に3年くらい勤めました。その後、また金沢医科大学病院に戻ってきて今に至ります。

看護部長になる前について

金沢医科大学病院に来る前の病院でのことです。その病院ではクリティカルパスを導入していて、第1回のクリティカルパス全国集会を開催したのです。それがすごく印象深かったです。その病院では医師、看護師、コメディカルと一緒にパスを作る機会があって、それがすごく楽しかったです。それと、その頃は外来の看護師が患者さんに指導したら診療報酬が付いた時代で、病院で看護外来を立ち上げるという取り組みがあって、そういうのも面白かったです。

金沢医科大学病院に帰ってきた時、最初は契約職員だったのでパスについての取り組みができなかったのですが、ずっとやりたいという気持ちがありました。だから、主任になった時にはパスの委員会に入れてもらい、発表に行ったりしました。世の中の流れに乗って、やりたいことが見えてくるというところがあって、それが楽しかったです。
それと前の病院では、ロイの看護理論について看護部をあげて勉強していたのですが、「理論を根拠に看護を提供する」ということを学びました。それは大変でしたね。事例を出して理論を展開していかなければいけないのですが、それまで看護理論の勉強をそんなにしていなかったので苦しかったです(笑)。でも今思えば、みんなが学んでいるところに入れてもらって事例を発表したことは、忙しかったですが充実していたと思います。

好きな言葉・座右の銘

座右の銘はないですが、「多様性」という言葉は好きですね。物事はひとつではないと思いますし、やっぱりいろんな面があると思いますね。言い換えたら「いい加減」とか「どれでもいい」みたいな(笑)。たぶん私の人生がそういう感じなんですよ、なんでもあり、みたいな。いろんな人がいて当たり前だと思うので。
日本人って目の色が黒くて髪が黒いのですが、外国に行くと肌の色や髪の色が様々な人がいて、そういう中にいたらいろんな人がいて当たり前なので、日本に帰ったら日本の異様さっていうのを一種感じます。アメリカやヨーロッパの人はそういうのがあまりないですよね。やっぱりいろんな民族の人が入り混じっているので。そういうことは大事かなと思います。海外経験を通じて、たぶん価値観が変わったんだと思います。最初の大学病院ではものもいっぱいあって、いろんなことが決められている中でやっていましたが、アフリカに行ったら決まりもないし、ものもなんにもないしという所だったので、全然違ってましたからね。

休日について

家でぐだぐだしてます(笑)。まあ、主婦をしていますね。日曜日は料理をちょびっとします。料理して、洗濯して、掃除してという感じで。その他には家で洋画を見るのが好きで、1日中見ていられるくらい好きです。本も好きなので、推理小説や恋愛小説などなんでもOKよという感じです。
海外ドラマを見るのも好きで、「ダウントン・アビー」というイギリスのメロドラマが面白かったです。「ゲーム・オブ・スローンズ」というアメリカの覇権争いのドラマも…あれは面白い!どっかで見てください。「ゲーム・オブ・スローンズ」です(笑)。ドラゴンが出てくるようなファンタジー要素や王位継承あり、陰謀もあって、もう大好きなの(笑)!ファンタジーは好きですね。アトムで育ったのでアニメも好きですよ。1番好きなのはラピュタですね。ナウシカよりラピュタ派です。

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